板倉楓の人物像と性格について!エピソードや夫と子供についても
太平洋戦争末期、東京品川の保育所の保母たちが保育所の集団疎開をしたという実話があります。
その実話をもとにした映画「あの日のオルガン」が2019年2月22日に全国ロードショーされます!
主演は戸田恵梨香さんと大原櫻子さん。
この予告編見ただけでうるっと来てしまいますが…。
戸田恵梨香さん演じるのは、主任保母である板倉楓。
大原櫻子さん演じるのは新米保母である野々宮光枝。
今回は、板倉楓のモデルとなった戸越保育所の畑谷光代さんについてまとめました。
保母さんとは今でいう保育士さんのことですね。
板倉楓の人物像は?子供と夫は居た?
板倉楓のモデルとなった畑谷光代さん。
戸越保育所から保育園疎開をしたときは27歳。その当時は立派な大人でしょうが、それでも若いですよね。
ご結婚されているのか、夫や子供さんについて調べてみましたが分かりませんでした。
53人の園児と保母・保健婦・栄養士などを率いての疎開保育園の中心メンバーでありました。
映画の中では「怒れる乙女」として描かれており、真っ直ぐな性格を戸田恵梨香さんが演じていますね。
板倉楓の性格は?
板倉楓のモデルとなった畑谷光代さんは、「ちゃんと怒る性格」と原作を読んだ平松恵美子監督は言っています。
畑谷光代さんは一度怒り出すと顔を真っ赤にして手が付けられなるくらいだったそうで、保育所の所長と喧嘩にも見える議論をしょっちゅう繰り返していたそうです。
太平洋戦争末期「学童は疎開させているのになぜそれより小さい子は疎開させないのか」と怒っていたそうで、その真っ直ぐな思いが国の命令ではない、現場の保母が主体となって行われた疎開保育園の実現に結びついたのでしょう。
板倉楓のエピソード
板倉楓のモデルとなった畑谷光代さんの提言で疎開保育園は実現します。
そうは言っても時代は終戦間際、日本中が物資や人材の足りない時で予算がなく、疎開保育園の実現は難儀したそうです。
疎開保育園とは、園児が親と離れて保母たちと過ごすということになります。
つまり24時間保育。
これが実現したのは、畑谷光代さんに虚弱児施設での24時間保育の経験があったからだそうです。
日に日に激しくなる空襲下で子供たちの命を守り、また親には生活に集中させるために(これは子供たちを安全に避難させることができれば他の保育所も疎開保育園に追随しやすくなり、結果子供たちの命を守れるということを狙った戸越保育所所長の意見ですが)安全な場所での保育しかないと思ったら行動に起こす畑谷光代さんの行動力はすごいですね。
この当時、親と一緒にいても、親も子供の相手を十分にしてはやれないので結局子供はただただ街頭で時間をつぶすことになり(小さい子なら特に)その状態も子供の教育にとってはよくないと考えられたそうです。
約1年続いた疎開保育園では様々な試みが行われます。
最初は流れ作業的に園児の保育がされていました。
朝園児を起こす保母さんがすべての園児を起こす。
洗顔担当の保母さんがすべての園児の洗顔を援助する。
それは作業効率は良いのですが、だんだんと問題が起きてきます。
そこで、保母1人に園児5〜6人を担当させる体制に変えました。
そうすると保母が母親がわりとなって園児たちは兄弟のように助けあうようになったそうです。
畑谷光代さんの受け持ちの子供たちも、畑谷さんが食事の準備をしているときはそれぞれができるお手伝いや仕事をこなし、畑谷さんにはそれを受け入れるだけの余裕も感じられたそうです。
疎開保育園は終戦後引き上げますが、畑谷さんはその後日本の保育界を牽引する存在となります。
保育学者としても活動し、保育所を設立し、保育ひとすじの方です。
まとめ
映画「あの日オルガン」主人公の板倉楓のモデルとなった畑谷光代さんについてお伝えしました。
戦後の保育
畑谷光代
>子ども間でのボス的存在を作らない。共同制作によって、子どもが自主的に役割分担をすることが大切。城戸幡太郎の、社会協力の部分を詳しくした感じ……。
ボス的な存在も話し合いで解決させる。
大人が介入するのではなく、あくまで子どもたちの話し合い。— 七篠京華 (@kiyo_86_days) 2019年1月24日
女性の社会進出が難しかった時代に自分の信念を曲げず園児の命を守るため行動した畑谷さんは本当にすごい方だと感じました。
疎開すれば全て円満というわけでもなく、地元住民との軋轢から理解しあうまでの道のり、園児の心身の変化、寒さと食糧難など様々な問題が起こります。
その様子は映画「あの日のオルガン」にも描写されていますよ。
全国ロードショーは2019年2月22日です!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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